2009年8月19日 (水)

〝新伍が逝った〟

〝新伍が逝った〟
〝新伍が逝った〟
〝新伍が逝った〟
俺と新伍の出逢いは、今から40年程前、昭和44年頃だ。
当時は、日本映画界の大隆盛期で、東宝・松竹・日活・大映・東映・新東宝という六つの映画会社が、月に48本もの映画を製作していた。
俺達が在籍していた東映は、京都と東京に撮影所がわかれていて、京都は時代劇、東京は現代劇の作品を作っていた。
東京現代劇の方は、亡くなった鶴田浩二さん、今も元気な高倉健さん・菅原の文ちゃん、それにこの俺とで弧塁を守っていた。
そこへひょっこり京都撮影所から移籍してきたのが山城新伍だ。
市川右太衛門・片岡千恵蔵・中村錦之助・大川橋蔵・里見浩太郎・松方弘樹の方々、そうそうたるメンバーが頭上に居て、これ以上自分の出る余地無しと判断したんだろう。手薄な東京へ進出してきたのだ。
頭の廻る奴だナーと思った。
俺の持ち作品、不良番長の3作目からメンバーにすっぽり入り込んだ。
16作品最後迄一緒だった。
その他にも、〝夜遊びの帝王〟〝女たらしの帝王〟〝ポルノの帝王〟〝後家ごろしの帝王〟〝トルコの帝王〟等々数え切れない。
朝な夕なに、アダムandイブ(ブティック:今もあるかどうかは判らない)の大きなショッピングペーパーバッグ(中にはパンツと洗面セットが入ってた)を持って「一寸ゴメンヨ!」と言って、俺の部屋に入って来る。
当時は新伍は未だ個室が与えられてなかった。
「又、夕べも帰ってないのか?」と言うと、「イヤ、そんな事はないヨ」と言いながら下着を替える。懐かしい一コマだ。
俺は神奈川県の真鶴町という所に家がある。
東京の渋谷から1時間10分くらいで来れる。

ある日「これからそっちへ行く」と言って、四時間半経っても未だ来ない。
やっと着いた。「何してたんだ?」と云ったら、高速の出口を間違えて御殿場(40キロも先)迄行ってしまって、そこでUターンして来たと言う。
しょっちゅう来てるのに、何んで又そんな阿呆な事を!とよく聞いたら、車線変更が怖くて出来なくて、左側出口に寄れなかったという。
3つも出口を飛ばしてる。
ワインを飲み始めて10分もしないのに、グラスを持ったまま、コックリコックリ居眠りが始まる。5年前の事だ。
その頃から体調を崩しはじめた様だった。

今回諸々の事情で密葬に出席出来なかった(お見送りは前日にした)が、何か凄く心残りだ。
実は新伍とは約束があって、生き残った方が葬儀委員長を務める事になっていた。(親友達はみんな知ってる)「オイ、話が違うぞ!」と詰められそうだ。

でも俺も、もうすぐ72だ!
そんなに遠くは無いと思うぜ。
お前の好物は上海ガニだったよナ。
俺が逝く時、時期が合えば、必ず土産に持ってってやるぜ。
成仏してろヨ。


辰「オイ!上海ガニ、来月(九月)から解禁(旬)だってヨー。どうしよう…〓」
新伍「いいから、すぐ持って来いヨー!〓」
辰「エッ!………〓」


梅宮辰夫さんと一緒に釣りやろう

2009 08 19 |

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